2006年01月31日
「魔法少女リリカルなのは」ドラマCD Vol.1
というわけで、ますべ委員長様のご指導に従い、
「魔法少女リリカルなのは」ドラマCDシリーズ「Sou
nd Stage」の、まずVol.1を聞いてみました。
確かに内容は、ほぼ健全文体に徹していたアニメ
本編では描写出来ないようなもので、例え絵のな
いドラマCDでもやって欲しくはなかったとも思いま
すが、これが「ファンサービス」ということなんでし
ょうね。
とはいえ、アニメ本編第2話と3話の間に位置する
お話としての完成度は高く、納得する点も多くあり
ました。
本編ではあっという間に魔法を上達させてしまった
かに見えたなのはの、ユーノ君との練習、そして水
獣とのバトルの中での、ギリギリの判断による新魔
法の習得の過程を描くことで、本編を上手に補完し
ていると思いますし、だからこそ違和感のないサブ・
エピソードとして成立しています。
また、本編を見終えた立場からあらためて強く感
じたのは、フェイト・テスタロッサのまだいない「なの
は」世界は、なんとフラットに見えてしまうのだろう、
ということでした。
この頃の、まだ地上の日常に繋がっていた時の雰
囲気も悪くないですし、なのはがまだ飛行魔法を習
得していないことは、その象徴だろうとも受けとめま
したが、このVol.1で特に強調して描かれていたよう
な、家族や友達との関係に支えられたなのはとは、
全くの対になる、もう1人の主人公であるフェイトの
ドラマの存在感が、逆に浮き彫りになったとも思い
ます。
そういう意味でも、フェイトをフィーチャーしていると
いうVol.2の内容にも、期待が高まりますね。
2006年01月11日
「魔法少女リリカルなのは」第13話
というわけで、現在唯一視聴していたアニメ作品と
なる「魔法少女リリカルなのは」は、最終エピソー
ドになる、第13話「なまえをよんで」を見ました。
以下、内容に触れますのでお気をつけください。
「魔法少女リリカルなのは」公式サイト
http://www.nanoha.com/archive/index.html
ゆったりとした語り口の、爽やかなエピローグと
いった感じの最終話で、僕としてはとても満足出
来ました。
見終えてしばらくしてから気づいたのは、最終決
着戦で、タイトル・ロールである高町なのはに、
「魔法少女」としての力をフルに発揮して状況を
打破、あるいはラスボスを撃破するような、アクシ
ョン的な見せ場がなかったことです。フェイトを
救うシーンも、主点はフェイトの方ですよね。
もう少し様式に寄った作風だと、レイジングハート
がこれまで見せていなかった、最終最強形態みた
いなモードに移行し、なのはも持てる魔法の全て
を振り絞って、最後の見せ場を作る……という風
な展開もあり得たとは思います。「燃え」的な文体
が主体の作品なら、そういう着地点は論理的帰結
だったでしょう。
けれど「なのは」の場合はことさらにそんな見せ場
を飾り立てることもなく、実に謙虚に、抑制の効い
た静かな幕引きを示していきます。
その理由は簡単で、「なのは」の物語が、ますべ委
員長様の仰るような「(なのはとフェイトの)二人がこ
こにたどり着くまでの物語」であるとするなら、それ
は既に違う形で語り終えているので、派手なアクシ
ョンなんかは、不要なだけだからですね。
この、シンプルに、物語にとって必要なものだけを
提示していくという語り口の姿勢は、最後まで一貫
していましたし、それゆえの、作品的成功の域に達
してるとも思います。
ピュア&シンプルということでいうなら、他ならぬ主
人公なのはと、もう1人の主人公フェイトとの関係
描写もそうでしょうね。
なのはのフェイトに対する心理は、「友達になりたい」
というピュアさを信じてよいものですし、後はそれに
どう答えるかという、フェイトの側の問題がドラマとし
て進められ、この最終話での解答に至る、そういう
お話だと解釈して満足出来ます。
そのシンプルな物語構造を支えるために、演出があ
らゆる面で繊細な心遣いをしていることは、肯定的
に嬉しく受けとめたいとも思います。
「魔法少女」だからロリだとか、なのはとフェイトが
女の子同士だから百合だとか、カテゴライズありき
のバイアスを用いて作品を見るのは個人の自由で
すけれど、そんな物差しを用いなくても十分なだけ
の力強く、心に響く物語が、「なのは」の中にはあっ
たと思います。
ただもちろん、なのはの年齢が思春期前の9歳とい
う設定には、作り手の意図は別にして、作品の中の
視点から、セクシュアリティを排除する効果はあっ
たとは考えます。
別に、なのはとフェイトがセクシュアリティを含む恋
愛感情で結びつくとしても、それは彼女達の自由
ですが、そこまで踏み込むと、語り口のシンプルさ
を維持できなくなってしまう恐れがあったでしょう。
年齢を上げた場合に可能になってしまう、恋愛感情
の介入を前提にすると、この最終話でフェイトが初
めてなのはの名前を呼ぶだけでは、作品としての答
えに足りなくなってしまうのですね。
そういう理由で、9歳という設定年齢は妥当であった
と僕は思います。
そこまで年齢を下げないと、ピュアかつシンプルで
力ある物語が描けなくなってしまった、現代アニメ
の問題が垣間見える……とまで断じるには、僕の最
近のアニメ視聴数は全然足りないんですけれど。
ともあれ、視聴者が補完出来る直接の原作を持た
ないワンクール・アニメを語る上での、最適な語り
口が用意された作品として、僕は「魔法少女リリカ
ルなのは」を高く評価します。
もちろん、キャラクターそれぞれも魅力的な人ばっ
かりだったし、愛すべき作品世界だったと思います
ので、出会えてよかったです。
気になってしまうのは、そういう成功点に達してし
まった1作目の後で、続編の「A's」で何が出来るの
だろうということですが、そんなことは作り手も、百
も承知だとは思うので、期待はしています。
フェイトがアストラ的な(ウルトラマンレオの弟……
という説明はもう必要かな、やっぱり)、なのはの
ピンチに颯爽と現れるだけの助っ人的立場になっ
てしまったら寂しいんですけれども。
いつかまた、「A's」の方も見られる機会が来るとい
いですね。
最後ですが、お薦めいただいたますべ委員長様、
いつもながらありがとうございました♪
呆れられるような読み間違いをまたしていないかと
心配ではありますが(笑)。
2006年01月07日
「魔法少女リリカルなのは」第12話
「私達の全ては、まだ始まってもいない。
だから、本当の自分を始めるために
今までの自分を、終わらせよう」
(フェイト・テスタロッサ)
というわけで、ちょっと間が空いてましたが、もちろ
ん忘れたわけじゃありませんの「魔法少女リリカル
なのは」は、決着戦突入のラス前エピソードになる、
第12話「宿命が閉じる時なの」でした。
↑にも引用したように、名台詞も連発された、文句
のない極上レベルのお話でした。何度繰り返し見て
も飽きないエピソードというのも、久しぶりです。
「魔法少女リリカルなのは」公式サイト
http://www.nanoha.com/archive/index.html
母親に捨てられたフェイトの復活を描いた前半部が
成功しているのは、そこに、主人公であるなのはが
直接的な言葉や行動で関与しなかったことが、最大
の理由になると思います。
もちろん作品演出という意味では、これ以上ないタ
イミングで重ねられた挿入歌や、声優さんの演技も、
大きなポイントとして評価すべきですよね。
ここでのフェイトの復活に、なのはが関与し、つま
りフェイトを救う、あるいは引っ張り上げるような
形になってしまうと、以後の2人の関係が、対等な
ものにならなくなってしまうのですね。
「初めて私と対等に、まっすぐ向き合ってくれた」
なのはと同じところに立つためには、フェイトはど
うしても自分の意志と力で、起き上がらなくてはな
らなかった。あ、もちろんいつも彼女のそばにいて
くれた、盟友バルディッシュと共に。
そしてそれが出来たことで、もう1人の主人公とし
てのフェイトの魅力を再構築すると同時に、さらに
今後描かれるべき、新たなフェイトとなのはの、
「本当」の物語も始められるわけです。
再会した二人が余計な言葉を交わし過ぎることも
なく、瞳だけで最初の「なにか」を伝え合い始めた
場面に、胸がただ熱くなりました。
そういう(あくまで僕個人のものですが)読み取りを
ふまえて、あらためて感じるのは、物語のパーツが、
然るべき場所にきちんと収まりつつ進んでいく、語り
口の完成度と、それゆえの安心感ですね。
無駄がないというか、計算尽くしという嫌味を感じさ
せるわけでもない、血の通った物語が構築されてい
ると思います。
整理された語り口という点で指摘出来る要素は、各
キャラクターの目的意識が明確な作劇になっている、
ということがありますね。
一般的にいわれるキャラ立てということだけでなく、
物語の中で、各自が成すべき立場に忠実であり、ど
のキャラも筋が通った人格に読み取れる。
例えば、狂乱するプレシアに対するクロノ君の台詞、
「世界はいつだって、こんなはずじゃないことばっか
りだよ。ずっと昔から、いつだって誰だって、そうな
んだ!」
「こんなはずじゃない現実から、逃げるか、それとも
立ち向かうかは、個人の自由だ。だけど、自分の勝
手な悲しみに、無関係な人間まで巻き込んでいい権
利は、どこの誰にもありはしない!」
なんて、本来ならば首魁であるプレシアに対してなの
ですから、主役のなのはが言ってもよさそうな重みを
備えたものですよね。
アニメに限らず、キャラクター主体のメディアにおい
ては、往々にして、そういう特権を主役に与えてよし
とします。クライマックスで主演俳優が、語り口のリ
ズムを無視して延々と長芝居(演説とも)を始めてし
まうような映画は、すぐに思い当たるでしょう。
でも、「なのは」においては、そういった瞬間のイン
パクトよりも、時空管理局付の魔導師として、様々
な現実を経験してきた筈のクロノ君だからこそ言え
る台詞なのだというリアリズムを優先します。
なのはが同じことを言ってしまうと、ここまでの彼女
を考えても、やはり身に沿わないと思うでしょうし、
結果として、クロノ君のキャラクターの価値も、彼が
生きている人間なら当然そうすべきであるように、
作り手が大事にしてくれている、と感じるのです。
「キャラクターが生きている」とは、まさにこういう語
り方のことを言うのでしょう。
「なのは」に対しては、主人公のなのはが9歳らしく
ないといった批判もあったそうですが、ドラマ演出と
いう面では、このようにきちんと理にかない、効果あ
る選択がなされていると思います。
ここで、クロノ君のシリアスで重い台詞が生きるのも、
例えば第11話の冒頭にあった、直接台詞は交わさな
いままに、クロノ君がエイミィさんの癖毛を直そうとす
るような、生真面目だけではない人格的側面の幅を
示す要素が、ちゃんと配置されているからですね。
そういう意味でも、ホントに丁寧に計算された良質の
作品だと思います。
いよいよ次は残念ながらラスト・エピソードなので
すが、サブタイトルが内容を想像させてはくれます
し、そのまとめ方でいいとも思います。
まあ、ホントに大どんでん返しで、最初に言ってた
みたいにユーノ君がラスボスだったりしたらスゴイ
んですけど(笑)。
「ふははは。全ては、この手にジュエルシードを揃え
るための企てだったのよ! プレシアごときは、我が
手駒に過ぎぬわ!媚びろ!崇めよ!跪け!」
「……外道が。地獄でプレシアに詫びるがいい!ほ
あたあ!」
とか?←だからそれだと違う作品ですってば。
ともあれ、「ちょっとイイことがある……かもしれま
せん」とのことなので、「なのは」OPフルコーラス版
をちゃんと聴きこんでから、いずれ最終話に臨みた
いと思います。
2005年12月28日
「魔法少女リリカルなのは」第11話
どうしてもついうっかり、「リリカルなのは」を「マジ
カルなのは」と打ってしまいそうになるのは、僕だ
けじゃないみたいですけど。
まあ、呪文が「リリカルマジカル」ですし、響き的に
も合うかなと思わなくもないんですが、「魔法少女」
でさらに「マジカル」だとかぶっちゃいますものね。
これを受けてつい思い浮かぶのが、謎のプリズム
の力で(←どっかで聞いたことがあるように思えて
も気のせいです)、性格の異なる7人に分裂してし
まったなのはを描く新作続編とか。7人の内訳は、
・リリカル(lyrical)なのは――オリジナルのなのは。
・ロジカル(logical)なのは――頭脳明晰で沈着冷静、
非常に論理的な性格のなのは。
・パシフィカル(pacifical)なのは――のんびり屋で
いつも幸せそうななのは。
・コミカル(comical)なのは――笑ってばかりの明る
いなのは。
・エンジェリカル(angelical)なのは――優しく泣き虫
のなのは。
・フィジカル(physical)なのは――行動的で短気な肉
体派のなのは。
・ミスティカル(mystical)なのは――霊感少女で“妖し
い”なのは。
という感じでどうでしょうか。どうでしょうかと言われ
ても困りますかそうですか。サクセスサクセース♪
以下真面目モード。
「魔法少女リリカルなのは」は、いよいよクライマッ
クス編に突入した第11話「思い出は時の彼方なの」
を見ました。
高町なのはとフェイト・テスタロッサを、ポジとネガの
関係にある2人の主人公と捉えた時に、これまで描
かれてきたなのはの、全てを備えた完璧な主人公ぶ
りをふまえてみると、今回フェイトが自分自身の全て
を否定されてしまう、アイデンティティ崩壊の危機をむ
かえたことは、相対として納得出来る展開です。
成績優秀で性格健全、真面目で明るいその上に、家
族との関係も良好、魔法の素質も抜群で、あっという
間にフェイトの実力を超えてしまうなのはは、キャラ
クターとしてある意味完璧です。せっかく声が田村ゆ
かりさんなのに、ドジッ子らしいところもほとんど見
せてくれません(笑)。
というよりは、9歳という設定年齢にしては完璧で悟り
過ぎた人格造形を和らげるために、田村さんの声が
上手く作用していると見るべきでしょう。
一方のフェイトは、そんななのはの完璧ぶりにどんど
んと差をつけられていき、母親から与えられた使命を
果たせぬばかりか、ついに今まで信じていた自分=
プレシア・テスタロッサの娘という立場すら否定され
てしまいます。
主人公・なのはに対して肯定的で、直接・間接を問わ
ないサポートの空気が流れる世界観の中で、フェイト
はそのネガとして、暗い孤独と自己否定の道を落ちて
いくように描かれます。現状で彼女にとって唯一の救
いは使い魔のアルフの存在ですが、アルフはフェイト
が作り出した自分の分身のようなもので、真の意味で
フェイトを救ってくれる他者の立場にはなれません。
2人の明暗が明確になった作劇の、今後の流れとし
ては、いかになのはがフェイトを救うかということにな
るとは思います。
ただ、そこでの語り口の主体は完璧過ぎるなのはで
はなく、フェイトの側にあるべきでしょう。
完璧ななのはは、もうキャラクターの伸びしろがいっ
ぱいで、フェイトに「友達になりたい」と告げた時点
で、2人の関係性における義務を果たしてしまったと
思います。全てが嘘になってしまったフェイトの世界
の中で、唯一頼れるものがあるとしたら、自分の事情
も立場も関係なく、ただ「友達になりたい」と言って
きてくれた他者である、なのはしかいないのですから。
その時に、自己再構築がどんな風に描かれるかなの
ですが、ただ完璧ななのはに頼るだけでは、フェイト
の立場も、なのはを肯定する世界観の背景の一部に
なってしまいます。
それでもいいと言えばそうなんですが、「なのは」の
世界の、成功した統一感ゆえの窮屈さみたいなものを
破って、作品がもうひとつ上のレベルに達するには、
フェイトが彼女自身の物語の主人公として、どんな主
体性を見せ、独立した他者として、いかに「友達」と
してなのはと向き合うか、という過程が重要になって
くると思います。
そしてその関係構築は、なのはの側にも、彼女1人で
は成しえない成長の機会を与えてくれるでしょうし。
あと2話で物語がどこまで届くのか、楽しみです。
2005年12月26日
「魔法少女リリカルなのは」第9&10話
本国では20日頃発売になった、故エディ・ゲレロ
選手の自伝、「Cheating Death, Stealing Life :
The Eddie Guerrero Story」(Michael Krugman
共著)が届きました。
おそらくは突貫作業で挿入したんでしょうけれど、
冒頭に1ページの、ビンス・マクマホンWWE会長に
よる追悼文が掲載されています。ペーパーバック
版には、他のレスラー達からのコメントなども追加
されるのではないでしょうか。
現在読み進めているショーン・マイケルズの自伝が
終わったら、こちらもじっくり読みたいです。
引き続き「魔法少女リリカルなのは」は、第9話
「決戦は海の上でなの」と第10話「それぞれの
胸の誓いなの」を見てみました。
世間様では、2ndシーズンの「A's」がフィナーレ直
前で大盛り上がりというのに、こちらはまだまだ1st
シーズンを消化中ということで申し訳ないです。
「A's」を見られるとしても、1年くらいはかかるの
でしょうね……。
「魔法少女リリカルなのは」公式サイト
http://www.nanoha.com/archive/index.html
ここまで見てきて感じる、この作品の魅力というか
成功の理由は、上手く言えませんが、「伝えたいこ
とはシンプルであればあるほど、力を備える」とい
うひとつの真理でしょうか。
作劇の表面上からの理解でいうなら、どのキャラも
自分に正直でまっすぐに考え行動する、という統一
感が、物語に確固たる方向性を与えています。
作品の中で、「人間を描く」ということと、「物語を描
く」ということは、その主従と因果のバランスがとても
難しい関係ですよね。
キャラクターのために物語があるのか、それともそ
の逆なのか。どちらが正しいというものではなくて、
それは作品それ自体と見る側が決定するとしか言
いようがありません。そのバランスが崩れると、作
品はあっさりと崩壊してしまいます。
「魔法少女リリカルなのは」は、そういう意味での
キャラクターと物語のバランスが理想的な、傑作の
域に達しようとしているかに思えます。
まず言えるのは、どのキャラクターも立ち位置がシ
ンプルに設計されていながらも、その人格が一面的、
あるいは単純に見えないような工夫が施されている
ことです。
これは個々のキャラクター描写が、主人公なのはを
中心とした物語の方向性に対して、アイデンティテ
ィを失わないまま正確に沿う形で示される演出が徹
底されているからですね。
なのはが、その特殊能力や運命といった設定だけ
でなく、言葉や行動で示される人格それ自体によっ
て作品の軸になっているという意味で、正しく主人
公として機能しており、それを支えているのが、良
い意味で無駄のない、各キャラクター造形のシンプ
ルさだと思うのです。
結果として、なのはを主人公として認め、信じてい
られるのなら、他のキャラクター達も、善悪を問わ
ず、まずはそのまま受けとめて、描かれる物語をた
だ見つめていればいいという安心感を与えてくれる
のですね。
そんな作品構築がオーバー・コントロールに見えな
い理由のひとつとしては、求められる幅を正確に把
握した声優さんたちの名演もあるでしょう。
ともあれ、シンプルであっても、しっかりとした方向
性が構築されていれば、物語は厚みを備えるとい
う好例だと思いますし、ワンクール全13話という短
い作品にもかかわらずその高みに達しているのは、
正直すごいと思います。
振り返ってみれば、なのはが魔法の力を得る第1
&2話のストーリー・テリングの、分かり易すぎるス
タンダードさも、その場だけのインパクトや、奇を
てらって混乱させるより、以後語られるべき物語の
ための基礎として、あえて必要最小限のプロットだ
けを提示し、なのは達キャラクターに自由を与える
ためだったのかもしれませんね。
ファースト・エピソードは、確かに作品のカラーを
決定づける大切な立場にあり、以後のキャラクター
の行動や世界観を規定するわけですが、「なのは」
の場合は、あえて無色の個性無き導入部として描か
れたために、逆になのは達キャラクターが、人間と
して自由に考え行動する土台になれたとも思います。
もちろん、そこだけ見れば、既出作品の亜流としか
みなされない可能性も高く、実際そうだったようです
けれど……。
物語は、そんな主人公高町なのはと、ある意味ネ
ガである、もう1人の主人公フェイト・テスタロッサ
の関係こそを語るべき軸として、どんどんとテン
ションが高まっていきます。その語り口のブレの
無さは、見事としか評せません。
まさにキャラクターと物語が同化し、ただただ引き
込まれていく勢いに身を任せていい、観客としての
幸福があるのみです。
双方が持つジュエルシードを賭けての戦いがなにを
生むのか、単なる勝ち負けを超えた結果が、物語を
どこへ導くのか、静かに見守りたいと思います。
2005年12月17日
「魔法少女リリカルなのは」は8話まで
まずは私信ふたーつ。
「先生」と呼ばれるのは苦手だということなので、
そうはお呼びしませんが、春風ソヨグ先生、今回
の「鯖尻」任務も了解です! 原稿の方も大詰め
でしょうから、がんばってくださいー。
それと、★そう言われたら応えるのが「お兄さま」
の務めというわけで、こっちも「乙女はお姉さま
に恋してる」、アソシで予約しときましたー♪
それにしても「お兄さま」が「お姉さま」なゲーム
をプレイするという、なんというかどんどんと引き
返せない世界にはまり込んでいくような(笑)。
あ、静留さんのお話も楽しみにしてます♪
「乙女はお姉さまに恋してる」公式サイト
http://www.alchemist-net.co.jp/products/otoboku/
さて本題。
CSのファミリー劇場で集中リピート放送されている
「魔法少女リリカルなのは」は、引き続き第8話
まで見てみました。
続けて見通してしまったので、各エピソードに着目
するのではなく、全体の印象論的な感想になってし
まうのが申し訳ないのですけれど。
「魔法少女リリカルなのは」公式サイト
http://www.nanoha.com/archive/index.html
「魔法少女リリカルなのは」の主人公・高町なのは
の年齢は9歳で、小学校三年生です。
この作品に限らないことですが、視聴対象年齢層に
合わせた、夕方や土曜朝の番組ならまだしも、大人
向きの深夜枠で放送されるアニメ作品においても、
主役キャラクターが、その作品を見ていない年齢層
である、幼い少女に設定されることはままあります。
その理由は、特にクライマックスに向けて、ドラマ
ツルギーの単純集中化を目的とした時に、キャラク
ターの主張や行動理由もまた極度に理想化された
り、理想それ自体に集約していく人格描写である方
が都合がいいからです(他に美少女を出す・見たが
る理由なんて、まったく全然なんにもありませんよ
ねっ。うんっ)。
ドラマが、最後のカタルシスに向けてまとまりつつ
ある時に、「人間の人格はそも多重的かつ複雑であ
る」といったリアリズムの導入は邪魔で、登場人物
全てがドラマの結論に目を向けている方が、観客の
側も、物語とキャラクターそれぞれに引き込まれや
すいわけですね。もちろん、そうでない作劇論もあ
るわけですが、エンターテインメントの世界では、
その方が一般的です。
実写と異なり、役者の生身の身体という、観客のリ
アルな想像力を喚起する要素を持たないアニメに
おいては、そういった、肉体と精神のバランスには、
かなり寛容だと思います。
生身の役者が言っても無理がある台詞も、アニメの
キャラなら大丈夫、という例はシリアスでもギャグで
も、いくらでも思いつくでしょう。
また、物語の性質や方向性によっては、キャラク
ターの年齢が高いと、そういう単純化がそぐわない
こともあります。「いい大人がそんな理想主義だけ
で最後まで行動出来るのか?」と観客が冷めてしま
っては困る一線があるのですね。
そんな時でもキャラクターの年齢が低いと、若いか
ら、あるいは幼いから勢いだけで突っ走るのもいい
かと、見る側の許容度も広がります。
「なのは」は、そんな構造の理想を示しています。
つまり、生身の9歳の女の子の役者が演じても、説得
力をまるで持たないような台詞や行動が、アニメとい
うフィールドの中で、まさに生き生きと劇化されてい
る、アニメゆえの魅力の発露が、ここではっきりと見
受けられるのですね。
その粋に達するには、もちろん単に「アニメである」と
いうだけでは不足で、「なのは」においては、高町な
のはがまさに主人公として存在し、そのために世界
観が集約されている(あるいはされつつある)という、
物語の勢いというか、世界構築の力が、成功のレベ
ルに届いているからでしょう。
くだけていえば、8話にまで進み、なのはが主人公だ
からこそ描ける物語として見え始めたからこそ、その
確信を言葉にしてもいいと思いました。
その反動というか、犠牲として、なのはは逃げること
も甘えることも許されない主人公として、9歳という
実年齢以上の達観を求められてもいるのですが、物
語全体のテンションが、それを不自然に感じさせな
いのが、語り口の上手さだと思います。
終着点に向けて、直球の「逃げない」お話が進みつ
つあると評せばよいのでしょうか……。
もちろん、まだ物語は途中ですし、今後どうなるのか
もわかりませんが、このままの勢いを保ったままで、
いかに見事にまとめてみせるのか、その手腕に期待
が高まるばかりです。
でも、本音を少し言ってしまうと(笑)。
こういうご時世ですから見ていて、「そんな、人気の
無さそうな場所を近道しちゃダメだよ!」とか、「お
母さん、そんな曖昧な理由で9歳の娘さんに1人で
外泊を許したらダメだよ!」とか、色々気になったり
もしてしまったのですが。まったく、現実はイヤなも
のです、はい。
2005年12月11日
「魔法少女リリカルなのは」第1&2話
某委員長様が猛烈にプッシュされている、「魔法少女
リリカルなのは」の1stシーズンが、CSのファミリー劇
場で集中リピートされ始めたので、とりあえず第1&
2話を見てみました。
「魔法少女リリカルなのは」公式サイト」
http://www.nanoha.com/archive/index.html
ファミリー劇場公式サイト
http://www.fami-geki.com/
これは率直に言ってしまっていいと思うんですけれど、
現時点では可も不可もなし、という感じです。
基本的な変身ヒロイン物のフォーマットを、そつなくこ
なしてはいるけれど……、それ以上のサムシングは
まだ見えてこない、ですね。
「すごい素質」を理由に、あまりにあっさりとなのは
が魔法を使いこなしてしまって、初期話数だからこそ
のピンチらしいピンチに陥らなかったのは……、作品
のカラーとも関連するので、断言しづらいですが。
オープニングが示す対立劇が、ドラマの主軸になって
くるとは思うのですけれど、小学3年生(! 僕は、
中学生くらいのお話と思ってました)が主人公たちで
どこまで……という不安はあります。
個人的には、あれでユーノ君がラスボスとかだったり
したら面白いとかひどいこと考えてますが(笑)。
あ、懸念していた○○○○シーンについては、これく
らいなら許容範囲内なので安心しました。というか、
この程度なら完全になくてもいいですよね。

