2009年03月12日

「獣の奏者エリン」第9話のテーマは、コミュニケーション


今日はアニメ評論です。
引き続き、「獣の奏者エリン」(公式サイト)は、第9話
「ハチミツとエリン」を見てみました。
というか、先週土曜日の放送以来、何度か繰り返し
て見ています。
テレビアニメを視聴していて、「これはすごい」と思っ
たのは、本当に久々の経験でしたから。それだけの
質に達していたということです。個人的には、今まで
で最高の出来のお話でした。


short_g.gif


登場人物をエリンとジョウンの2人だけという、ミニマム
にまで絞ったこのエピソードの内容は、それぞれの視
点から、2人がお互いのことを知っていく過程を描くも
のでした。
大人と子供ですから、その認識のレベルには、もちろ
ん違いがあります。
全てを失ったエリンにおいては、自分をとりあえず受け
入れてくれる人に、ジョウンがなってくれるかどうかを、
彼の生業である養蜂を通して見ていくのが精一杯です
が、ジョウンの側からは、エリンが持ち備えている知的
好奇心と想像力に基づく、もう少し高い位置からの、
人間理解の視点が向けられています。親を失った子供
だから保護する以上の、エリンという人間に対する興味
ですね。


そういう、それぞれの立場から、少しずつお互いを知っ
ていく、コミュニケーションという過程の材料として利用
されていたのが、養蜂についての解説です。
エリンが何かに気づき、考え、ジョウンが問いを与え、
解説していく。それが何度も繰り返される。その過程そ
のものに意味があるわけです。
考えを練って言葉を発し、相手のそれを受けとめて理
解していくという、人間だから出来るコミュニケーション
の基本的なかたちが、今回の作劇の骨格でした。
変な話、ジョウンがごく普通の会社勤めの人間だった
りしたら(いえ、この世界に会社なんてないかもですけど)、
そんな風に会話を膨らましていくことは出来なかったで
しょうね。
2人だけのアニメのキャラクターによる会話という、お芝
居を持たせるだけの映像のクオリティを終始維持出来
ていたのも、すごかったと思います。ものすごく端的に
ぶっちゃけてしまうなら、ずっとエリンが可愛かったとい
うことでもありますけど(笑)。


だから、エピソードの最後でやっと、2人がお互いの名
前を知るのは、作劇論理的に筋が通っているのです。
その時点にまで、2人はそれなりの日にちを共に過ごし
ているのですから、リアリズムだけでいうと、お互いの
名前を知らないでいるのはおかしいし、第一不便です。
エリンの側からは「おじさん」と呼べばいいわけですが、
ジョウンの側からいつでも「お前」では、困る状況もある
でしょう。
けれど、今回のエピソードの目的が、お互いを知って
いく過程だとするなら、相手の人間をある程度規定もし
てしまう、名前の存在は、棚上げしておいた方が、都合
がいいのです。
この作品世界での、民族性と名前の関係についてはま
だよくわかりませんが、例えば現実世界でも、相手の人
間のファースト・ネームが、「太郎」か「ジョージ」か「ウサ
マ」であるのかで、その人間がどういう人であるのかの
予断は、ある程度生まれてしまいますよね。


エリンとジョウンは、お互いの名前を知らないままでい
たからこそ、そういった予断の介入しない、そのままの
人間性だけを見ていくことが出来た、という証明のため
に、名前の名乗りは最後まで取って置かれたわけです。
逆に、お互いの名前を先に知っていた場合の、今回の
お話のやりとりを想像してみればいいでしょう。なんとな
く、プレーンな感じが削がれると思いませんか? 
サブタイトル前の、エリンが目覚めた時のシーンでは、
エリンはジョウンの冗談に具体的な言葉を返せず、ただ
驚き照れるだけでしたが、エピソードの最後では、きち
んと自分の意思を言葉にして、ジョウンにお願い出来る
までになっている。その変化と成長の対比は明確です。


僕個人的にも、頭がいいキャラが好きだから、エリンは
好ましいということに合わせて、作劇の構造それ自体に、
ちゃんとした論理性が備わっているこの作品は、とても
お気に入りになってきました。毎週、こんな作品が見ら
れるんだという幸福に浸っています。




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2009年03月02日

「獣の奏者エリン」の魅力と可能性について


たまには、アニメ作品批評もしたいですね。
2年に渡って続いた「Yes!プリキュア5」シリーズが
終了した後、現在視聴している新作テレビアニメは、
「獣の奏者エリン」(公式サイト)だけになります。
2月28日放送の、第8話「蜂飼いのジョウン」まで
視聴済みです。
録画を1話から続けている冬新番は他にもいくつか
ありますが、いずれ観るかどうかはわかりません。
とりあえず春新番からは、「戦場のヴァルキュリア」
(公式サイト)が、チェック予定にはなっています。


short_g.gif


この「獣の奏者エリン」、個人的には久々に膝を正し
て観るのが楽しい作品になっています。内容は正直
かなりシビアなので、「楽しい」という表現はちょっと
違うかもですが。
ひと言でいうと、作品世界で暮らすキャラ達の、その
生活を通して、物語を伝えていくというアプローチが、
僕にはとても好ましいからですね。
例えば、キャラの行動の動機付けとなるものに、「理
念」なんかがあったりしますよね。大きな話だと、この
世界を変えたいとか、あるいは守りたいとかいう。
その際にはやはり、キャラが変えたい、守りたいと思う
世界が、彼/彼女にとってどういうものであるのか、何
が問題なのか、どんな価値があるのかということが、
きちんと描かれていないと、そのキャラの行動にも、説
得力が生まれません。「エリン」のように、僕達が暮らし
ているのとは価値観も社会通念も異なるだろう、別の世
界の物語であれば、なおのことです。


「エリン」の場合は、主人公であるエリンという子供の目
を通して、まずこの世界の生活がどんなものであるか、
丁寧に描くことから始まっています。
世界の全体像を把握していないし、主義や共同体への
帰属意識も明確に構築していない、子供の目を通すか
らこそ、まだ狭くはありますが、プレーンな形で、世界は
視聴者にも少しずつ提示されていきます。
特にエリンと同年代である子供の視聴者達にとっては、
大きな理念よりも、どんな食べ物が美味しいとか、お母
さんに抱かれる心地よさとか、自分の保護者がどんな仕
事をしているか(=自分が何を手伝うか)といった、生活
描写を通しての方が、きっと、より世界が見えやすくなる
と思います。
エリンの視点と経験を通した、その過程はまた、自分と
他人の暮らす世界をいずれ理解する時のための、よい
演習にもなるでしょう。


一方で「エリン」には、真王とその一族や、大公親子達
による、世界をめぐる大枠の語り筋も用意されていて、
未来でのエリンとの関わりを予期させています。
国をどう導くのかという政治的お話の核には、それぞれ
の立場での理念がおそらくはあって、彼らは理念を語り
示すことが仕事の人達ですから、物語の中の担当として
は、それでいいと思います。
ただもし、エリンの目を通した、市井の生活レベルでの
視線を抜きにして、彼らの政治劇だけを描いても、この
異世界を、人々が暮らす場所として実感するのは、視聴
者には難しかったでしょう。現状では両者のバランスが、
上手くとれていると思います。


いずれはエリンも主人公として、彼女なりの理念を抱き、
行動していくことになるのだと想像します。
その時に、様々な生活の体験を通して成長している筈の
彼女の選択は、きっと人間として理解出来る、血肉の通
ったものになっている筈です。今はそのための、種を蒔
いている段階だと思います。きっといい事も悪い事も、
ひとつひとつの経験が、エリンという子供を主体的かつ
唯一無二の主人公にしていくための材料なんですね。
年長の視聴者である僕には、そういった過程の論理的帰
結としての、エリンの成長を見届けたい楽しみもあります。
愛娘の将来を見届けられなかった、母親ソヨンのために
もと言ってしまうと、さすがに格好つけ過ぎですけど。
大人になった時のエリンの理念が、世界を動かすだけの
力を備えていたなら、何故彼女がこの物語の主人公で
あるのか、その意味もわかるでしょう。期待したいです。


posted by mikikazu at 10:21 | TrackBack(0) | アニメ感想・「獣の奏者エリン」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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