2008年11月02日

「プリンセスナイン」、視聴終了しました。


というわけで、「プリンセスナイン 如月女子高野
球部」(バンダイチャンネル作品紹介ページ)は、
第25話「運命の準決勝」と、最終話になる第26話
「輝け!プリンセスナイン」を見ました。
以下、作品ラストまでのネタバレあります。


short_g.gif


最後まで見終えた、総評を先にひと言でいうと、
キャラや設定、音楽などの各材料はよかったのに、
エンターテインメントとしての、語り口のアプローチ
を間違えた作品、ということになります。
つまり、もっと面白く出来た筈の作品だったのにと
いう、歯がゆい気持ちが強いですね。
語り口の構造的な失敗が顕著に現れたのが、物
語としてのクライマックスになる、第25&26話での、
如月高校との地区大会準決勝編です。


確かに如月女子校野球部は、この年の春になって
新設されたばかりの硬球野球部で、部員は全員1
年生という、ハンデを背負っています。
けれど、彼女達が他校の男子部員達と戦う試合に
おいて、ルールそれ自体は、どちらにとっても完全
に平等です。
男子部員だろうと女子部員だろうと、ストライクを三
つ取られればアウトになるし、ファーストまでの距離
も同じ。そういう意味では、ルールは男女の差なく
適用される、平等なものです。
だから、男子のチームに勝てるかどうかは、性差
に関係なく、純粋に如月女子校側の、実力の問題
だけであっていいわけです。


にもかかわらず、この物語終盤の準決勝では、如
月女子校のエースである早川涼さんに、野球それ
自体とは何の関係のない、高杉宏樹君との恋愛問
題が与えられ、その結果ピッチングが精彩を欠いた
ものになる、という展開になります。
これがもし、強豪である如月高校の打線をどう封じ
るかという、野球それ自体の問題で悩むのならい
いんです。例えば、涼さんの魔球であるイナズマボ
ールなら強打者を打ち取れるのは間違いないにし
ても、9回ずっとそればかり投げ続けるのは無理だ
から、どうやって投球を組み立てていくかという戦術
の悩みとか。


でも、涼さんの個人的な、それが解決しようとしま
いと試合の結果それ自体には直結しないし、他の
部員にも関係ない問題で、ピッチングが乱れ試合
が不利になってしまうような状況は、物語の終盤
というこの時点では全くふさわしくないし、必要もな
いんですね。
これが物語上最後の試合なのだから、必要なのは、
如月女子校野球部のメンバーが、これまで積み重
ねてきた努力の結果を、試合の中で悔いなく披露
することだけでいい。後悔を残さない、全力のプレイ
を見せてくればいいし、エンターテインメント作品の
クライマックスとしても、それこそが語るべきことです。


なのに涼さんやいずみさん、お父さんが倒れた小
春さんに、全力を発揮出来ない個人的な、野球に
関係ない事情を与えてしまうことで、物語の勢いは
かなり失せてしまっています。
最大の問題は、その事情がキャラクターの内的な
ものであることで、勝つべき相手である当面の敵
の、如月高校側の存在感が全くなくなっていること
ですね。高杉君以外の野球部員は、みな名前もな
い、ただの人形のような選手としてのみ描かれてい
ます。
なので、それだけ強いチームを倒すという、チーム
対チームの、野球物語の醍醐味である団体勝負の
ドラマも無視されているんです。


では、どうしてこの終盤で、こんなに恋愛要素が重
視して描かれたかというと、ぶっちゃけ、涼さん達が
「女の子だから」だろうと思います。
男子部員が主人公だったら、恋愛問題が、ここまで
試合に影響を与えるように描かれることはないでし
ょう。
試合のルールにおいては、男女の性差がない状況
が用意されているのに、というか如月女子校の側か
ら、女性として特別扱いされない場に乗り込んでいる
のに、「女の子である」ことが今さら足を引っ張るよう
な作劇の展開は、物語とキャラの成長に対して間違っ
ていると思います。
「女の子だから」発生する様々な障害は、これまで散
々描かれてきたし、それらを乗り越えて、ついに試合
の場にのぞんでいる如月ナインなのだから、ここはも
う、男性も女性も関係ない、勝負論のドラマだけを描
けば十分だったと思います。


結果として、設定が求めていたような盛り上がりに届
かなかった、残念な作品というのが、あくまで個人的な、
「プリンセスナイン」に対する評価になります。
唯一の救いは、吉本ヒカルさんの、誠四郎君との唐突
だけどさっぱりと明るいキスシーンでしょうか。
あれがなければ、終盤はずっと淀んだ雰囲気のまま進
んでいったと思います。


2008年11月01日

「プリンセスナイン」第23&24話、見ました。


いよいよ佳境の「プリンセスナイン 如月女子高野
球部」(バンダイチャンネル作品紹介ページ)は、第
23話「美女と野獣の対決!」と第24話「Kiss…」を
見ました。


うーん、正直よくない展開です。
予想通りかなり駆け足の語り口でしたが、 如月女子
高野球部は、夏の甲子園大会を目指す地区予選の、
準決勝にまでたどり着きました。
そこまでの過程の描写に説得力があったかというと、
微妙なところなんですが、とにかく、甲子園まであと
2勝、なわけです。
それだけ重要な段階なのだから、如月ナインのみん
なには、野球の試合だけに集中して、全力で戦って
欲しいんですね。個人的な意見ですけど。


なのに作劇は、涼さんと高杉君、いずみさんの恋愛
模様の描写にまだ重きを置いていて、第24話では第
21話に続いて、また涼さんに、試合に集中出来ない
原因を与えています。そんなの、繰り返す必要はない
と思うんです。
甲子園を目指す女子校野球部のお話としてこの作品
を見た時に、地区予選大会を描いている現状は、ま
さに本筋にあたると思うのですが、キャラの恋愛話と
いうものは、その本筋から見た時には、やはり本質的
でないというか、正直邪魔なんですね。
せっかく作品世界内では初になる、女子硬球野球部
が頑張っているのだから、野球に集中出来ない理由
などを与えるのは、ドラマの進行に対して、妨げにしか
なっていないと感じます。


その原因として動かされているのが、本来なら、
「そんな個人的な理由でピッチングに集中出来ない
なんて、エースとしては失格だわ」とまず言いそうな
いずみさんである、というのがわかりません。
第24話の、高杉君とのキスを涼さんが目撃したのは
まあ偶然の結果としても、第21話のハンカチ作戦な
んかは、冷静に考えれば、自チームの、1人しかいな
いピッチャーの心を乱して、選手として何の得がある
のか、いずみさんならわかりそうなものです。
それだけ高杉君に対する想いが強いのだとしても、
では選手としてのいずみさんの立ち位置はどうなる、
という、以前にも述べたいずみさんというキャラの中
の2つの要素の分離が目立ってしまう結果になって
います。
その部分の葛藤をきちんと描いてくれていたなら、
とはあらためて強く思いました。


ともあれ一番思ったのは、第24話で、あんな表情で
自分を見つめるいずみさんを受け入れない高杉君は
最低、ということなんですけど(笑)。
というか、いずみさんからの高杉君への想い以上の
ものを、涼さんと高杉君との関係ドラマで描けたとは
まったく思っていないので、どうしたって個人的には、
いずみさん贔屓になってしまうわけです。
涼さんがいずみさん以上に、高杉君は自分にとって
大切な存在、という思い入れを示してくれるのなら
ともかく、今に至っても、なんだか煮え切らないとい
うか、自分の気持ちを認めるのに躊躇していた段階
ですから、まっすぐに気持ちを示すいずみさんの方を
応援したくなるのが、正直な心情です。一途な女の子
の気持ちは、どうしていつも届かないのでしょうか。
いずみさんの場合、高杉君のことを諦めて、野球だけ
に生きるにしても、その野球部自体が、自分の母親の、
かつて愛した男の娘が甲子園で投げるのを見たい
という、個人的なエゴだけで用意された舞台ですから、
いずみさんが割り切るにしても、色々難しいなあと思っ
てしまいます。



2008年10月29日

「プリンセスナイン」は、第22話まで見ました。


諸事情でちょっとお休みしていましたが、視聴を
再開した「プリンセスナイン 如月女子高野球部」
(バンダイチャンネル作品紹介ページ)は、第22話
「ユキ、ひとりじゃないよ!」まで見ています。


ここまで見てきて、好きか嫌いかと訊かれたら、
最後まで見届けていい、好きな作品になっている
とは言えます。
野球部のキャラは、多さに埋没することなくそれぞ
れ個性が立っていて魅力的です。デフォルメで描
かれたアイキャッチも皆さんキュートで好きです。
キャストは、高杉宏樹役の子安武人さんのナハハ
演技を除けば完璧ですし、キャラにも合っていると
思います。子安さんの演技は、作品製作時の10年
前ならオッケーだったかもしれませんが。
中でも、やはり涼さんのお母さん・早川志乃役の島
本須美さんの存在感は大きいですよね。ひと言でも
台詞があると、安心出来るという声です。
いわゆるアニメキャラ的な作った声といえば、マネ
ージャーの毛利寧々さんのそれが、高校生にもなっ
て自分を名前で呼ぶことも含めて、その代表になる
んでしょうけれど、とにかく野球部のために一生懸
命なことはわかる、好感をもって見つめていいキャ
ラとしてずっと描かれているので、個人的には許容
範囲内です。いい子なんですっ。


short_g.gif


とはいえ、作品として出来が完璧かというと、実は
そんなこともなかったりします。
一番大きい瑕疵は、エピソード間の連結が上手くい
っていないこと、つまりシリーズ構成がちゃんと仕事
をしていないこと、になるでしょうか。
例えば、第21話「高杉くんなんて、嫌い!」で、いずみ
さんは涼さんから高杉君へのプレゼントである、刺繍
入りのハンカチをわざわざ涼さんの目の前で使ってみ
せたり、といった恋敵の心を揺さぶるための意図的な
行動を示したりするわけですが、その行動は、第17話
で、病院で危篤状態にある、他ならぬその涼さんに会
うために、豪雨の山中を、崖崩れの危険もかえりみず、
裸足で五キロも走ったキャラクターであるいずみさんが
取るには、いささか小さいというか、姑息過ぎます。
エピソードの順番が逆ならば、まだしも納得出来たので
しょうけれど。こんなこと、ここでやらなくてもいいのに
なあ、というのが正直な気持ちです。
その一方の直後に(第22話)、チームの存続のため、ユ
キさんにライナーを放つ行動は、性格の分裂と批判され
ても仕方ないと思います。


本来ならば、いずみさんのキャラクターにおいては、
アスリートとしてのライバルである涼さんを認める気
持ちと、高杉君をめぐる恋敵として認められない気持
ちの、2つの相反する感情の葛藤こそが魅力になるべ
き筈でしたが、作劇は両者を分離させ、別々の、順序
的にも正しくないエピソードで分けて描いてしまっている
ために、せっかくのいずみさんのキャラの魅力が、ずい
ぶんと殺されてしまっていると思います。見る側からも、
その時点でどう考えているのかわかりづらいキャラに
なってしまっているというか。
個人的には、一途なキャラは好きなので、幼い頃から
高杉君への想いをずっと抱き続けているいずみさんこ
そ、応援したいと思っているんですが……。
「妹のままじゃ、いや」と、精一杯に呟くいずみさんの言
葉(第19話)は、切なく胸に響きます。
このまま涼さんが、主人公特権だけで、高杉君をゲット
するとしたら、あまりにつまらない展開です。



あるいは、第14話「幻のイナズマボール」で、ついに涼
さんは父親から受け継いだ魔球であるイナズマボール
を投げられるようになります。
「理屈はわからないけれどとにかくスゴイ球」という設定
の理解は別にして、首を傾げてしまうのが、強豪校の打
者を三者三振に抑えてしまうそのスゴイ球を、初球から
キャッチャーの真央さんが捕球出来てしまうことですね。
真央さんはその2話前である第12話「涙の100連発」で
は、涼さんが投げる普通の球でも、捕球に苦労して、特
訓を重ねていましたよね。
そんな真央さんが練習もせずに初球から取れる程度の
球である一方で、強打者を抑えられるというイナズマボ
ールの威力は結果として矛盾しているというか、よくわか
らないものになっています。
これも、真央さんの捕球特訓が、イナズマボールに対し
てのものであれば、問題はなかったのでしょうけれど。


また、第15話「お父さんのスキャンダル」から第18話「加
奈子のバースデー・プレゼント」にかけては、涼さんの父
親が関わったとされる野球賭博スキャンダルを理由とし
て、涼さんの強制退学と野球部の廃部問題が描かれます。
本人が直接関わったわけでもない、生まれる前に父親が
したとされることで、娘の涼さんが退学を求められるのは
理不尽に思えますが、如月女子高が体面を気にする名
門お嬢様学校である、という設定を思い出せば、納得は
いきます。


納得はいくのですが、あくまでそれは書かれた(描かれた、
ではない)設定に頼るもので、ドラマとしての血肉を通した
理解ではありません。
作品を配信しているバンダイチャンネルの作品紹介ページ
でも、「涼にとって、名門お嬢様学校での生活は慣れない
事ばかり」という文章が記載されていますが、実際の本編
で、涼さんが名門お嬢様学校ゆえの生活や雰囲気に戸惑
ったり困ったり、といった描写は、ほとんどなかったと思い
ます。
如月女子高で描かれている涼さんの生活は、おもに登下
校と部活のみで、野球部特待生とはいえ、授業すら受け
ていた記憶はないです。
そういう、名門お嬢様学校ゆえの生活や雰囲気に戸惑っ
たり困ったり、といった過程を、涼さんの個人的経験として
描いていたなら、この理不尽な保護者会の対処にも、同
じく本来はアウトサイダーである他の野球部のメンバー
達と揃って、学校内階差を踏まえた、もっと生っぽい憤り
や、その中でのキャラ達の学園生活空間の深みなんかも
表現出来ていたと思うのですが、そこまでの配慮は、残念
ながらありませんでした。


short_g.gif


アニメ作品製作において、特にテレビシリーズ作品だと
重要なのは、各エピソードごとの時間と体験の積み重ね、
そしてそれらの要素が昇華される論理的帰結、だと思い
ます。
このキャラは、こういう経験を踏まえてきたから、こうい
うことが出来るようになった、こういう決断をついにした、
という論理性は、エンターテインメント作品においては
基本中の基本というか、見る側の感情移入を誘うため
には、決して崩してはいけないものです。
この「プリンセスナイン」の場合、、その論理性を各エピ
ソード単位で結びつけて管理するシリーズ構成の仕事が
出来ていないために、ずいぶんとぎごちない作品になっ
てしまっていると思いますし、時間を経て変化・進行して
いくべきキャラクター達の感情のドラマも、かなり混乱し
て、犠牲になっています。


物語全体のバランスでいっても、次回第23話から、やっ
と甲子園大会の予選初戦が始まりますから、どこまで描
くにせよ、残されたのがたった4エピソードでは、「甲子園
を目指す」という目的のための本筋の舞台は、そうとうに
駆け足の語り口になってしまうのだろうと想像します。
思うに、キャラクター各自のドラマは前半で一区切り置い
て、後半は全て甲子園大会の予選を描く、くらいのバラン
スの方がよかったかもしれません。
1年4クールの作品なら、このペースでもよかったかもし
れませんが、「甲子園を目指す舞台で、女子の野球部が
どれだけ活躍出来るのかを見たい」という期待をしていた
観客さんを満足させるだけの時間は残されていないでし
ょう。


short_g.gif


以下私信欄

2008年09月30日

「プリンセスナイン 如月女子高野球部」第4〜5話、見ました。


あは、お馴染みエリカ・フリードマンさんが、「Otoboku」
こと、 アニメ版「乙女はお姉さまに恋してる」をけちょん
けちょんに言って
ますね(笑)。
僕はアニメ版を成功作として評価していますが、それは
「ゲームのアニメ化としては成功」という意味が強くて、
アニメ版を単体の作品として見た時に評価出来るかど
うかは、正直全然わかりません。エリカさんの批判意見
も、それはそれで理解出来ますし。
知人である翻訳者さんに対してのねぎらいの言葉で、
「(この作品を翻訳するのは)自分で目にフォークを突き
刺すくらい辛かったろうね」という表現は面白かったです
けど。そこまで言いますかって(笑)。
向こうではMedia Blastersからリリースされているこの
作品、オンラインストアなどでのランキングを見る限りは、
そこそこ売れているみたいです。


short_g.gif


というわけで本題。
10年前の作品をレビューすることに、どれだけ意義が
あるのかよくわかりませんが、とりあえずレビュー行為
自体は面白いので続ける、「プリンセスナイン 如月女子
高野球部」は、第4話「よろしくね、聖良さん」と、第5話
「荒波スイングと、対決!」を見てみました。
それぞれ、如月女子高野球部のための選手をスカウト
してくるお話でしたが、「七人の侍」以来伝統の、定番プ
ロットとして、それなりにまとまっていました。
「七人の侍」にも出典はあるんでしょうけど、一般的な
エンターテインメント作品における共通認識のルーツは、
やはり「七人の侍」だと思いますし。「疾風!アイアンリ
ーガー」の序盤なんかも引き合いに出していいでしょう。


第5話から登場の堀田小春さんは、高知県の女の子と
いうことでしたが、見始めてしばらくは、「どこの高知県
なんだろう?」と考えてしまったりもしました(笑)。
彼女の一人称は「うち」で、一応僕は高知県の出身なん
ですけど、高知出身の女の子が「うち」を使うことは、ま
ずないと思います。
中学生の時、大阪からの転校生の女の子が、ほんとに
「うち」を使ってるのを聞いて、クラスのみんなで「おおー」
と思ったくらいですし。
一般論は関係なく、小春さんはそう自分を呼ぶ子なんだ、
でも勿論構いませんけど。


short_g.gif


ここまでのお話を見て、作り手によるミスリードの可能性
に気づきました。
それはつまり、「女子による硬式野球部が、甲子園大会
に参加出来るのか?」というドラマ上の障害に思えたもの
が、実はそうではないのかもしれない、ということです。
女子は高校野球への参加が認められていないことで、例
え硬式野球部を設立しても、甲子園で開催される全国大
会には、予選から既に出場出来ない、というのが現実側
のリアリティで、それをフィクション側からどう乗り越えて
いくのかが、フィクションとしての見所であると、以前にも
述べました。


でも例えば、第2話での理事会シーンで、理事長の氷室
桂子さんは甲子園の映像を示し「究極の目標はここです」
と言ったり、「この甲子園に代表として出場し」と発言はし
ていますが、決して「甲子園」以上の具体的な名称は、他
のシーンも含めて用いないことから、彼女の言う「甲子園」
が、実は高校野球の大会である、「選抜高等学校野球大
会」なり「全国高等学校野球選手権大会」なりを指していな
くてもいいのでは、と思ったんですね。
「女子は高校野球(甲子園)に出れない」と言っているのは、
校長や教頭、それに娘のいずみさんといった周囲の人間
だけで、理事長からの発言ではない。
もし、理事長の目指している「甲子園」が、彼らたちの考え
ている高校野球大会としての「甲子園」でないとしたら、
「女子は出場出来ない」という指摘もまた、あてはまらない
ことになります。
第4話で、高校野球協会が、如月女子高からの参加希望
を却下した、つまり如月女子高側からも一応参加希望を伝
えたことが語られていますが、「予想通り」という理事長の
反応を見ると、却下されることを承知で、「却下された」と
いう既成事実をまず作っておきたかったのでは、とも考ら
れます。


だから想像したのは、女子の参加を認めていない、現存の
高校野球大会に出場出来ないのであれば、女子が参加出
来る別の大会を甲子園で開催して、それに出場すればいい
のでは、ということなんですね。
現実では実際に、全国高等学校女子硬式野球連盟による、
全国高等学校女子硬式野球選手権大会というものが存在
するのですから、そういうものを、フィクションとして膨らませ
て、甲子園で開催すればいいわけです。
日程なんかの調整は大変でしょうし、最大の問題は、その
場合如月高校以外にも、女子野球部を持つ高校が複数必
要になってくることですけど、無理に女子部が、男子だけの
高校野球大会に参加して戦うよりは、実現性のハードルは
低いと思います。


こういうことを考えてしまったのは、登場してくる新キャラの
誰もが、男子に対する劣等感や対抗意識を持っていないか
らなんですね。作劇の雰囲気として、「いかに女子が男子に
勝つか」みたいなものに全然なっていない。
よくオープニングを見れば、部員達が戦っている相手はま
ったく映し出されていませんし、先の展開を読まれるのを
防いでいる処置という可能性もあります。
おそらく、チームとしての目的意識を明確にしなくてはいけ
ない、部員が全員揃う辺りで、その辺の事情がはっきりす
ると想像していますので、さらに視聴を進めます。


2008年09月29日

「プリンセスナイン 如月女子高野球部」第3話、見ました。


この週末開催中のニューヨーク・アニメ・フェスティ
バルですが(公式サイト)、

参考・アニメ!アニメ!9月28日付け記事
「NYアニメフェスティバル 田中理恵さんらゲスト
に開催」


Yuriconのエリカ・フリードマンさんが、ご自身の
ブログOkazuで、さっそくレポートを書いてくださ
っています。
コンベンション全体の状況報告ではなく、あくまで
エリカさん自身の体験についてのレポートなので
すが、そういう個人視点から伝わる雰囲気がいい
ですね。ご苦労様でした。


NYAFのレポートということで他に期待しているの
が、ニューヨーク州在住の人気ポッドキャスター
ということで、たくさんのパネルを主催している
GeekNightsからのものですね。木曜日の更新が
楽しみです。


そうそう、NYAFといえば、ゲストに菊地秀行さん
が招待されているんですが、菊地さんと天野喜孝
さん、それに翻訳者のケビン・レーヒさんが同席す
る、参加者10名限定ディナーに、北米在住の知人
の友人さんが参加されるそうなので、ひょっとしたら
土産話が伝わってくるかも、とちょっと期待してた
りします。


short_g.gif


では本題。
さらに引き続き「プリンセスナイン 如月女子高野
球部」は、第3話「お父さんが立ったマウンドへ」を
見てみました。
如月女子高校への入学が決定した早川涼さんは、
さすがに「だけど、本当に行けるの?」という不安
を口にします。
作劇の流れとしては、お母さんの応援を受けて涙し、
野球部で頑張ることを決意する、というシーンを先に
描いていますから、涼さんの呟きは、自分自身の力
に対しての不安と考える方が自然だと思います。


桂子理事長が、娘のいずみさんや、学園の校長から
もあらためて批判されていたような、「そもそも女子が
高校の硬式野球大会に参加出来るのか」という現実
状況に対する不安にはならないのは、「甲子園出場と
いう目標、お母さんも応援するから」というお母さんの
言葉を経ている以上、涼さんの中で、甲子園出場は、
実現性のレベルは別にして、努力すれば到達可能な、
現実的目標に出来るからです。


ただ、今ひとつ作劇の座りが悪いのは、批判に対して
桂子理事長が、「こういう手を打っているから、女子で
も甲子園を目指せる」という明確な答えを示していない
ことで、涼さんの努力は報われるものだという、ドラマと
しての目標が、いまだ確定していないからですね。
本来なら、面接の際に、涼さんは「けれど、女子でも
甲子園に行けるんですか?」と訊くのが現実的対応な
んでしょうけれど、作劇はそれをさせなかった。
ここで当然生じる疑問は、特待生として入学させるの
はいいけれど、散々努力させておいて、もし甲子園大
会への参加が実現しなかった場合、その子の人生は
どうなるの? ということですよね。


見切り発車ということではなく、桂子理事長にはそれ
なりの自信があるようですが、例えば親御さんの立場
からすれば、その辺はきちんと確定した将来を約束し
て欲しいと思うんじゃないでしょうか。
にもかかわらず、涼さんのお母さんは、「今度のお話は、
天国のお父さんから涼への、贈り物だと思うの」という
お涙頂戴ではあるけれど非現実的な対応を示すのみ
で、思わず「それでいいのお母さん?」とは思ってしまい
ました。


この不安定さは、これから仲間を集めていく過程でも、
ずっとついて回るので、早期に、女子でも甲子園大会
に参加出来るという政治側のドラマを描いてあげて、
涼さん達の努力は、けっして報われないものではない
のだ、という風に示してあげた方がいいと思いますし、
そうしたら見る側も、安心して感情移入出来るんです
けど。


2008年09月28日

「プリンセスナイン 如月女子高野球部」第2話、見ました。


というわけで引き続き、ネット配信版の視聴を始めた
「プリンセスナイン 如月女子高野球部」は、第2話
「名門女子高に野球部が?」を見てみました。
とりあえず第6話までは購入してみたので、その辺ま
では見るんじゃないかと思います。


あ、第1話の感想で、北米でDVDをリリースしていた
ADV.Filmsから、いずれまたBOXセットが発売され
るかも、みたいなことを書いてしまってたんですが、
汲景太さん
という方による、「プリンセスナイン」ペー
内の英語版情報によると、北米での「配給権契約
は、期限切れの後更新されないでいるようです」との
ことですね。正確なソースは確認出来ていませんが。
もちろん、十分に有り得る話ではありますし、既に
ADV Filmsの公式サイトには名前がありません。
AnimeOnDVDのフォーラムでも、「権利がどうなって
いるのか、確かめる方法はないのかな?」みたいな
話が出ていましたけど……。
英語版Wikipediaによると、そのAnimeOnDVDでは、
かつて「プリンセスナイン」は「お薦め作品リスト」のよう
なものに掲載されていたらしいので、それなりの評価は
あったのだとは想像します。


short_g.gif


さて本題。
第1話の感想で、「この作品世界における、高野連的
団体との政治折衝の説明は、納得のいく形で、絶対に
不可欠なんですね」と書きましたが、それに相当する
団体の名前として、「高校野球協会」というものがちゃ
んと出てきましたね。
そもそも女子が出場出来ない規則に対して、理事長の
氷室桂子さんは、「変えさせればいいんでしょ、そんな
規則なら」と自信ありげに言い放っていましたが、とり
あえずは、彼女の政治的手腕を拝見させてもらいまし
ょうか、という感じですね。
それが納得のいく描写にならなければ、そもそもこの
作品のドラマは成立しないのですから。


好き・嫌いということはさておいて、この作品は、「女子
野球部が甲子園を目指す」という、現実ではありえな
い設定を用意していることで、フィクションの組み立て
方というものを考える上での、わかりやすいサンプル
になると思います。
「作品というものは、ひとつの嘘を描くために、千のディ
テールを用意するもの」という風なことを仰っていたの
は、故・大藪春彦氏でしたか。
「二足歩行の巨大機動兵器が戦争の主役になってい
る」でも、「クラスメートの女の子が、実はこの世界の
神様かもしれない」でも、「12人の妹がいた」でも、なん
でもいいのですけど、そういったひとつの大きな嘘を語
るには、それを支えるための、作品世界内でリアリティ
のあるディテールの描写が絶対に必要です。「そういう
世界なんだよ」ということを見る側に納得させてしまえば、
あとはキャラクターなり政治なりの、自動的に発展して
いく、作品世界内の現実の流れにまかせていけばいい。
端的に言うと、「上手に嘘をついて欲しい」ということなん
ですけどね。


この「プリンセスナイン」での、根本的な嘘は、「女子
野球部が甲子園を目指す」というもので、それは現実
にはありえないからこそ、そのドラマを成立させるため
の手法が、より興味深いものになっていくと思います。
「幼馴染みに告白」といったような、現実的にも可能な
お話とは違って、現実には不可能だからこそ、語り口の
アクロバットさと、説得力の双方が求められるのは、フィ
クションの作り方として、とても面白いんですよね。
せっかくフィクションを語るのだから、現実には有り得な
いようなお話を作って欲しいし、一方で、もしそういうこと
が起きるのなら、そこでの人間達はどんな風に動いてい
くのだろう、というリアリティも欲しいわけです。
理事長さん側からの勝手な個人的思い入れに対して、
主人公である早川涼さんの主体性が、設定の「有り得
なさ」との間で、どうバランスをとっていくかが、まず当座
の問題でしょうか。


short_g.gif

★更新は個人の好きなペースで進めればいいものです
し、人には人の事情がありますから、お互い楽しめる
範囲でよろしくなのです。
正直、少年向けレーベルにおける商業的ニーズみたいな
ことは全然わからないのですが、スポーツの勝負論は、
お話を盛り上げやすい、ということはありますよね。
日常性と非日常性の割りきりが楽、とも言えますか。
「どっちが勝つのか」なら、勝負が終わった瞬間に、その
非日常のドラマは区切りをつけられますが、「誰を妹に
するのか」だと、それが決まった後も続く、フィクション的
な意味での非日常のドラマは、続いていくわけですから。
って、あんまり上手く解説出来てませんけど(汗)。

2008年09月27日

「プリンセスナイン 如月女子高野球部」第1話、見ました。


アニマックスでの放送開始を待つまでもなく、第1話
については、バンダイチャンネル発で、無料配信して
いるということなので、さっそく「プリンセスナイン 如
月女子高野球部」の第1話「わたし早川涼、15歳!」
を見てみました。


ちなみに「プリンセスナイン」について知った、そもそ
ものきっかけは、英語版「鋼の錬金術師」でエドワー
ド・エルリックを演じているVic Mignognaさんが、
インタビューで、「鋼」以外のお気に入りとして、よく
この作品を挙げていたからですね。
英語版「プリンセスナイン」でVicさんが演じていたの
は、日本版では子安武人さんが演じている、高杉宏
樹というキャラクター。
英語版のADRディレクターであり、リリース元のADV
Filmsの共同創設者であるMatt Greenfield氏と会う
たびに、「ADVが出資して、『プリンセスナイン』のパー
ト2を作ってもらおうよ」みたいな話を、いつも持ちかけ
るのだとか。


北米では2004年1月に、BOXセットがリリースされてい
ますが、残念ながらいま現在は、どこのストアでも在庫
切れで、新品でDVDを入手するのは難しい状況にある
みたいですね。
サントラCDなら、Right Stufに1枚目2枚目が、400
〜450枚ほど不良在庫化しているようです。3.99ドルと
いう捨て値状態なので、お買い得ではあるんですけど。
ADVは今年に入って、旧作BOXセットの再リリースに専
念していますから、「プリンセスナイン」もいつか可能性が
あるかも?


short_g.gif


さて本題の、本編感想ですね。
「わたし早川涼、15歳!」というストレートなサブタイトル
は、むしろ清々しいくらいです。
この作品の製作年は、ちょうど10年前の1998年という
ことですが(放送期間・1998年4月8日〜10月14日)、
まだセル作品だと思います。テレビアニメのデジタル化
は、この頃から本格化したような気がしますけど。
放送枠は、NHKBS2の衛星アニメ劇場ということです。


そうですね、第1話だけの印象を言うなら、悪くないとい
うか、語り口に、特に目立った無理や破綻もなかったと
思います。
しいて言うなら、第1話のこの段階で、草野球の試合に、
ポーランド国立ワルシャワ・フィルハーモニック・オーケス
トラによる仰々しい劇伴音楽がこれでもかと鳴り響くのは、
ちょっともったいないかも、くらいです? 
まあ、それが作品のカラーなのかもしれませんが、映画
だったらクライマックスに温存しておきたいような、盛り上
がる曲なので。


キャラクターの掘り下げに関しては、まだまだこれから
でしょうけれど、主人公である早川涼さんについては、
ピッチャーとしての才能云々よりも、中学校の制服は、
わりと乱暴に脱ぎ捨てるのに、お店を手伝うのに着てい
たエプロンは、丁寧に畳んでお母さんに手渡す、という
比較の描写で、十分に伝わってくると思います。言葉で
はなく行動でキャラクターを描くという、基本ですね。
また、ラストで彼女と対峙することになった高杉宏樹君
が、まったく彼女を女の子扱いせず、あくまで優れたピ
ッチャーとしてのみ受けとめている風なのが、個人的に
は好感触ですし、高杉君というキャラにとってもプラスだ
と思います。この辺は次回に続いてしまったので、まだ
早計かもしれませんが。


short_g.gif


作品に対する全体評的なことを言うなら、現時点では
まだ不明な、「女子だけの野球部が甲子園を目指す」
というメインプロットの扱いが、ストーリーの展開だけで
なく、リアリティを規定する上でも重要になってくると思
います。つまり、リアリズムでいくのか、ファンタジーで
いくのかという、語り口のさじ加減の問題ですけど。


現実世界では、女子だけの硬式野球部が甲子園大会
に参加するのは絶対に不可能ですよね。女子部員とい
うことすら、試合出場は認められない筈です。
この作品世界での甲子園大会が、最初から女子の参
加も認めているのなら別ですけれど、それでは逆に、ド
ラマの障害として機能しません。
その不可能を可能にするからこそ、フィクションとしての
醍醐味があるわけですが、それでも、現実で不可能な
ことを可能にしていく過程の説得力というものは、ある
程度求められてくると思います。


例えば「カレイドスター」という作品があって、日本人
=アジア人である主人公の苗木野そらが、アメリカの
エンターテインメント舞台である「カレイドステージ」で
スターになっていく物語が描かれるわけですが、アメリ
カのエンターテインメント業界で、アジア人がそんな簡
単にスターになれるのか?というリアリティの疑問が、
常にありました。日本の宝塚で、外国人が主役を張ら
せてもらえるか?と考えればわかると思います。


「プリンセスナイン」でも当然同じように、「女子が甲子
園大会に参加出来るのか?」「参加したとして、男子選
手に勝てるのか?」という現実側からの疑問が突きつ
けられていくわけですが、後者は今後の物語の展開に
よるとして、前者については全てのドラマの出発点です
から、ある程度説得力がないと困るわけです。この作品
世界における、高野連的団体との政治折衝の説明は、
納得のいく形で、絶対に不可欠なんですね。「甲子園に
出たい」という、こちら側の都合だけで、物事が進んだ
りはしませんから。
また一方で、現実では絶対に無理な話でもあるのです
し、リアリティだけにこだわり過ぎることも、現実が見え
てきて空しくなってきますから、とても難しい。
これはファンタジーなんだよと割り切るのもひとつの手
ですが、そうすると、それに沿った範囲でしか、キャラ
クターの情動も描けません。それでいいのなら、それは
それでいいんでしょうけど。
作品内のキャラクター達がその目標を信じて、見る側
も彼女達の努力に感情移入出来るくらいの、説得力と
はどんなものなのか、「ああ、この手があったか!」と
いう驚きに期待して、第2話も見てみたいと思います。



eXTReMe Tracker