というわけで「極上生徒会」は、第7話「おせっかいが
好き」を見てみました。
視聴開始時からずっと続いていた、微妙さみたいなもの
への解答が見つかった感じなので、とりあえず書いてみ
たいと思います。
解答といっても、別に正解ってことじゃなくて、あくまで僕
の中で、合点がいったかも、ということなのですが。
ずっと感じていた微妙さというのは、キャラクターと物語
の距離、みたいなものですね。
こういうキャラクターで進める、こういうお話です、という
作品としての軸、といえばいいでしょうか。
どちらが主で従なのかは、もちろん見る各自が選択す
ればよいことですが、僕の視点からは、各エピソードご
とで、キャラクターと物語の関係の性質が異なり過ぎて
いるように見えて、そういう意味での戸惑いをずっと感
じていました。
「極上生徒会」って、こういう作品なんだよ、と説明する
ための、キーワードが思いつかないといいますか……、
「何かが足りない」という微妙な欠落感が、常につきま
とっていたのです。
何が足りないかというと、結局、「極上生徒会」という作
品が、同名の組織を世界観的に必然とする、具体的な
解説であり、根拠であると思います。
ここで第4話「素晴らしく冴えたやり方」のストーリー
を思い出していただけると、わかりやすくなるでしょう。
人形劇部で起きた、人形破壊事件というプロットは、
和泉香さんというキャラクターを深く描写するには最適
だったわけですが、その一方で、これまでのシリーズ
の中では、違和感のあるエピソードになっています。
その違和感の理由は、極上生徒会でなくても解決出
来たような事件だから、つまり事件のギミックそれ自
体は、教職者よりも権限を持つという、極上生徒会で
なくては解決出来ない、「極上生徒会」というタイトル
を冠した作品だからこそ描ける「なにか」を有したもの
ではなかったからですね。
逆に言うと、それ以外のエピソードは、「極上生徒会」
という作品の世界観だからこそ描ける「なにか」を、
一応備えた内容になっているとは思います。
ただ、その「なにか」が、物語を自動的に進める絶対
前提として明確には示されていませんから、エピソー
ドの起承転結に沿う形では胸落ちがせず、結果「足り
ない」感じが残るのだと思います。
例えば、守るべき「極上生徒会規約」みたいなものが
あって、それに従って生徒会役員が活動しているの
ならわかりやすいのですが、現時点での極上生徒会
の活動は、学園自治のためというよりは、もっと恣意
的な、奏会長の個人的心情なり思想なりを優先して
いるように受けとめられます。
だから、読み解きの方向が逆だったわけです。
「極上生徒会」という作品は、極上生徒会という組織
がどういう活動をしていくかを描いていく作品ではな
くて、極上生徒会の活動が、結果としてなにを目指し
ているのかを、読み解いていく作品なんです、たぶん。
各エピソードを見進めていくうちに、キャラクターの心
情の内に踏みこんだ視点から、「ああ、極上生徒会は
このためにあったんだな」と、いずれ理解していけれ
ばよいのではないでしょうか。
学園自治という明文化された組織運営ではない、こ
の作品だからこそ描ける大切な「なにか」が、いずれ
浮上してくるのでは……と想像します。
そして、その「なにか」は、言葉であらわすような陳腐
なものではないからこそ、現状では、極上生徒会があ
る世界の描写を、まず積み重ねている段階なのだと
思えます。
奏会長とりのさんとの間で、一番多くしっとりとした日常
的な場面が描かれるのは、2人の関係がその「なにか」
の象徴のひとつになるからでしょうか。
今エピソードで、奏会長がりのさんの髪をブラシで優し
くとかす鏡の前のシーンで、不意にそんな考えが浮か
びました。日常は、積み重ねられるそのこと自体に、
価値があるのですから。
いずれ到達するかもしれないその「なにか」が、キャラ
クターのみんなにとって、幸せなものだといいですね。
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