さんの出会いと、繋がりの理由を回想する、第12話「そ
れは雨の日に」でした。
用意されたプロットは悪くなかったと思いますし、自分自身
の意志で、奏さん1人のために尽くすことを決意した、奈々
穂さんの誓いの力強さは、見ていて羨ましいくらいに清々
しかったのですが、いかんせん「絵」として力のなさ過ぎる
演出が残念な、「もったいない」という評価になるエピソー
ドでしたね。
サブタイトルが示すように、今回は過去・現在を通して全編
に雨が降りしきる、その雰囲気を生かす筈のお話でした。
雨それ自体は単なる自然現象ですが、フィクション物語の
演出においては、シチュエーションの誘導(例えば雨宿り・
相合傘)、キャラクターの心理の暗喩などにおいて、とても
有効なツールとして活用されます。
また、空から落ちてくる水滴だけでなく、地や屋根を打つ雨
音、室内にしのびこんでくる湿気、靄にかすむ遠景といった、
様々な付帯現象もまた、演出においては重宝します。
物語作りを一度でも考えたことがある人なら、「雨のシチュ
エーション」というのは、必ず頭に思い浮かんだことだろうと
思いますが……。
ただしその有効性も当然のことながら、作中でそれ相応の
正しい見せ方をしている場合に限ります。
例えば、土砂降りの中をずっと駆け抜け、やっと立ちつくし
会話する、奏さんと奈々穂さんの身体に、全く濡れた様子
がない、といったような今作の映像は、そういう意味での、
せっかくの物語的リアリティをスポイルしてしまい、ぶっちゃ
け、ただ白けてしまいました。
現実なら、頬や額に濡れた髪が張りつき、顎をしずくが伝っ
て、濡れた服も皮膚に張り付く、くらいの姿になっているわ
けで、アニメでそのままの描写を全て緻密にやれとは言わ
ないまでも、この時の2人は、「同じように」(←ここポイント
です)びしょ濡れになっていないと、せっかく雨を降らしてい
る演出的意味がないと思いました。
ここでの雨は、本来は1歳違いで、同じ肉体を備えた女の
子2人を平等化し、続けて心からの本音を語らせるための
通過儀式のような役割を果たすのですから、2人はどうあ
っても、同じように雨で濡れていないといけないのです。
立場も違い、経てきた人生経験もまるで違う奏さんと奈々
穂さんの2人が、やっと視線を同じ高さで交わらせるため
には、そういう、同じような肉体の経験がまず必要だった
わけですね。
それを「絵」で見せられなかったために、続く神社での会
話シーンも、言葉だけが先立った(演技も含めて、台詞自
体はよかったと思います)、惜しい結論部になってしまった
ように感じます。
どこまで描写するかという「解像度」演出の問題は、その
作品の世界観・リアリティと密接に結びついているのです
が、一度「青春砲」みたいなものを出してリアリティを徹底
的にゆるくしてしまったこの作品の場合は、キャラクターの
シリアスな心情物語に説得力を付与させるまでに、面倒
な回り道を余儀なくされるようですね。
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