2005年06月30日

「極上生徒会」第12話

やっとこの「極上生徒会」は、奏会長と副会長の奈々穂
さんの出会いと、繋がりの理由を回想する、第12話「そ
れは雨の日に」でした。
用意されたプロットは悪くなかったと思いますし、自分自身
の意志で、奏さん1人のために尽くすことを決意した、奈々
穂さんの誓いの力強さは、見ていて羨ましいくらいに清々
しかったのですが、いかんせん「絵」として力のなさ過ぎる
演出が残念な、「もったいない」という評価になるエピソー
ドでしたね。


サブタイトルが示すように、今回は過去・現在を通して全編
に雨が降りしきる、その雰囲気を生かす筈のお話でした。
雨それ自体は単なる自然現象ですが、フィクション物語の
演出においては、シチュエーションの誘導(例えば雨宿り・
相合傘)、キャラクターの心理の暗喩などにおいて、とても
有効なツールとして活用されます。
また、空から落ちてくる水滴だけでなく、地や屋根を打つ雨
音、室内にしのびこんでくる湿気、靄にかすむ遠景といった、
様々な付帯現象もまた、演出においては重宝します。
物語作りを一度でも考えたことがある人なら、「雨のシチュ
エーション」というのは、必ず頭に思い浮かんだことだろうと
思いますが……。


ただしその有効性も当然のことながら、作中でそれ相応の
正しい見せ方をしている場合に限ります。
例えば、土砂降りの中をずっと駆け抜け、やっと立ちつくし
会話する、奏さんと奈々穂さんの身体に、全く濡れた様子
がない、といったような今作の映像は、そういう意味での、
せっかくの物語的リアリティをスポイルしてしまい、ぶっちゃ
け、ただ白けてしまいました。
現実なら、頬や額に濡れた髪が張りつき、顎をしずくが伝っ
て、濡れた服も皮膚に張り付く、くらいの姿になっているわ
けで、アニメでそのままの描写を全て緻密にやれとは言わ
ないまでも、この時の2人は、「同じように」(←ここポイント
です)びしょ濡れになっていないと、せっかく雨を降らしてい
る演出的意味がないと思いました。


ここでの雨は、本来は1歳違いで、同じ肉体を備えた女の
子2人を平等化し、続けて心からの本音を語らせるための
通過儀式のような役割を果たすのですから、2人はどうあ
っても、同じように雨で濡れていないといけないのです。
立場も違い、経てきた人生経験もまるで違う奏さんと奈々
穂さんの2人が、やっと視線を同じ高さで交わらせるため
には、そういう、同じような肉体の経験がまず必要だった
わけですね。
それを「絵」で見せられなかったために、続く神社での会
話シーンも、言葉だけが先立った(演技も含めて、台詞自
体はよかったと思います)、惜しい結論部になってしまった
ように感じます。
どこまで描写するかという「解像度」演出の問題は、その
作品の世界観・リアリティと密接に結びついているのです
が、一度「青春砲」みたいなものを出してリアリティを徹底
的にゆるくしてしまったこの作品の場合は、キャラクターの
シリアスな心情物語に説得力を付与させるまでに、面倒
な回り道を余儀なくされるようですね。
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[極上生徒会]第12話 脚本:黒田洋介
Excerpt: この作品を見ていない人は、だまされたと思って来週からぜひ見てください! 水曜深夜1時半〜テレビ東京系です。 絶対、損はしません! 約半分あるギャグの回も、心を大きく持って笑ってましょう。 シリアス..
Weblog: 物語の研究”Study of Entertainments”
Tracked: 2005-08-19 14:30
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