2010年02月26日

「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」第1話が示した魅力について


というわけで、週末で混んでしまう前にと、
大阪・なんばパークスシネマで上映中の
「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」第1話
を観てきました。
経済的には厳しい状態なんですが、特別価
格で電車賃がチャラになるくらいだったので、
思い切って。

「機動戦士ガンダムUC」公式サイト
http://www.gundam-unicorn.net/index.html


自分はもう、作家論・スタッフ論でアニメを見
るスタンスからは撤退して久しいので、今回の
「UC」も、監督さんが誰とかは一切知らずに
見てみたんですが、そうですね、1時間たっぷ
りかけて、主人公が戦争によってガンダムに
乗って戦う運命に巻き込まれていくという、
「ガンダムの第1話」を見せてもらった充実感
で、まずはいっぱいですね。
それは、語り口に駆け足なところはあるし、
オードリーさんに眼前で「必要ない」と断言さ
れたにもかかわらず(されたからこそ?)、「女
の子に必要として欲しいから頑張る」という主
人公・バナージ・リンクス君の行動は、物語と
してどう方向性を生むのかとか、不安もなくは
ないですけど、それはこれからの問題です。
このクオリティの作品があと5話・5時間も見
られるんだ、という嬉しさがあります。


short_g.gif


それから、「UC」が「宇宙世紀」を舞台にした
ガンダムだからこそ、という点も大きいです。
この台詞・設定は、宇宙世紀ガンダムを知って
いる人には分かる的な、ファンに対するくすぐ
りも豊富でしたけど、語り口において重要なの
は、宇宙世紀を舞台にしてるからこそ、出来る
ことが制限されているという、逆説的な魅力で
しょうか。


この「UC」の物語は、宇宙世紀ガンダムの作品
歴史でいうと、アニメ作品に限れば、「機動戦士
ガンダム 逆襲のシャア」(宇宙世紀0093年)と、
「機動戦士ガンダムF91」(宇宙世紀0123年)の
間に位置する(宇宙世紀0096年)わけですよね。
というか、3年後という時間を考えれば、「逆襲の
シャア」のその後を描いた作品という言い方が
正しいかもです。
英語の台詞では、「逆襲のシャア」で初登場し、
その後のガンダム作品では、応用技術を除いて
言及されなくなる設定の「サイコフレーム」も、
実装備として登場していましたし。


逆に言うとつまり、この「UC」は、「逆襲のシャア」
の3年後という世界で起き得ることしか描けない、
ということですね。
キャラクターの所在や、地球連邦の治世体制、政
治思想の流れもそうですし、モビルスーツの性能
や装備も、この時代にまだなかった物が出てきて
はいけない。
そういう、制限された状況下にあるからこそ、ジ
オニズムやニュータイプに対する人々の考え、
「この時代ならMS戦はこうなるだろう」といった、
こだわりにも説得力の世界観的根拠が発生し、
リアリティが物語に備わるわけですね。


例えば、そういう物語歴史的制約が強く存在し
ない、別世界のガンダム・シリーズである「機動
戦士ガンダムSEED DESTINY」には、戦術や
戦力比のリアリティを超えて、単機で大部隊を一
掃出来るスーパーMS、ストライクフリーダムガン
ダムが大活躍していました。
搭乗者であるキラ・ヤマト君の能力も含めて、
ある意味破天荒な、「SEED」シリーズの世界観
には合っていたかもしれませんが、あそこまで
の無敵ぶりを一機のMSが宇宙世紀の戦場で
発揮したら、おそらく物語世界が速攻で破綻す
ると思います。


「UC」第1話の場合は、そんな破綻が容易に
は生じないくらいの、語り口の構造の堅固さが、
明確に見えたと思います。
ああ、この作品はこういう「枠」で語っていくんだ
なということが、よくわかりましたし、宇宙世紀ガ
ンダムを知っている自分としては、安心以上に、
そのことが嬉しかったんですね。
舞台こそ宇宙ですが、ちゃんと地に足が着いて
いる感があって。
初代ガンダムから30年を経ても、宇宙世紀の物
語が描き得るという事実にこそ、個人的には満足
出来た劇場体験でした。
「SEED」シリーズや「00」しか知らない世代の人
達は、「UC」をどう感じているでしょうか。




posted by mikikazu at 14:49 | TrackBack(0) | アニメ感想-いろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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