というわけで、「プリンセスナイン 如月女子高野
球部」(バンダイチャンネル作品紹介ページ)は、
第25話「運命の準決勝」と、最終話になる第26話
「輝け!プリンセスナイン」を見ました。
以下、作品ラストまでのネタバレあります。
最後まで見終えた、総評を先にひと言でいうと、
キャラや設定、音楽などの各材料はよかったのに、
エンターテインメントとしての、語り口のアプローチ
を間違えた作品、ということになります。
つまり、もっと面白く出来た筈の作品だったのにと
いう、歯がゆい気持ちが強いですね。
語り口の構造的な失敗が顕著に現れたのが、物
語としてのクライマックスになる、第25&26話での、
如月高校との地区大会準決勝編です。
確かに如月女子校野球部は、この年の春になって
新設されたばかりの硬球野球部で、部員は全員1
年生という、ハンデを背負っています。
けれど、彼女達が他校の男子部員達と戦う試合に
おいて、ルールそれ自体は、どちらにとっても完全
に平等です。
男子部員だろうと女子部員だろうと、ストライクを三
つ取られればアウトになるし、ファーストまでの距離
も同じ。そういう意味では、ルールは男女の差なく
適用される、平等なものです。
だから、男子のチームに勝てるかどうかは、性差
に関係なく、純粋に如月女子校側の、実力の問題
だけであっていいわけです。
にもかかわらず、この物語終盤の準決勝では、如
月女子校のエースである早川涼さんに、野球それ
自体とは何の関係のない、高杉宏樹君との恋愛問
題が与えられ、その結果ピッチングが精彩を欠いた
ものになる、という展開になります。
これがもし、強豪である如月高校の打線をどう封じ
るかという、野球それ自体の問題で悩むのならい
いんです。例えば、涼さんの魔球であるイナズマボ
ールなら強打者を打ち取れるのは間違いないにし
ても、9回ずっとそればかり投げ続けるのは無理だ
から、どうやって投球を組み立てていくかという戦術
の悩みとか。
でも、涼さんの個人的な、それが解決しようとしま
いと試合の結果それ自体には直結しないし、他の
部員にも関係ない問題で、ピッチングが乱れ試合
が不利になってしまうような状況は、物語の終盤
というこの時点では全くふさわしくないし、必要もな
いんですね。
これが物語上最後の試合なのだから、必要なのは、
如月女子校野球部のメンバーが、これまで積み重
ねてきた努力の結果を、試合の中で悔いなく披露
することだけでいい。後悔を残さない、全力のプレイ
を見せてくればいいし、エンターテインメント作品の
クライマックスとしても、それこそが語るべきことです。
なのに涼さんやいずみさん、お父さんが倒れた小
春さんに、全力を発揮出来ない個人的な、野球に
関係ない事情を与えてしまうことで、物語の勢いは
かなり失せてしまっています。
最大の問題は、その事情がキャラクターの内的な
ものであることで、勝つべき相手である当面の敵
の、如月高校側の存在感が全くなくなっていること
ですね。高杉君以外の野球部員は、みな名前もな
い、ただの人形のような選手としてのみ描かれてい
ます。
なので、それだけ強いチームを倒すという、チーム
対チームの、野球物語の醍醐味である団体勝負の
ドラマも無視されているんです。
では、どうしてこの終盤で、こんなに恋愛要素が重
視して描かれたかというと、ぶっちゃけ、涼さん達が
「女の子だから」だろうと思います。
男子部員が主人公だったら、恋愛問題が、ここまで
試合に影響を与えるように描かれることはないでし
ょう。
試合のルールにおいては、男女の性差がない状況
が用意されているのに、というか如月女子校の側か
ら、女性として特別扱いされない場に乗り込んでいる
のに、「女の子である」ことが今さら足を引っ張るよう
な作劇の展開は、物語とキャラの成長に対して間違っ
ていると思います。
「女の子だから」発生する様々な障害は、これまで散
々描かれてきたし、それらを乗り越えて、ついに試合
の場にのぞんでいる如月ナインなのだから、ここはも
う、男性も女性も関係ない、勝負論のドラマだけを描
けば十分だったと思います。
結果として、設定が求めていたような盛り上がりに届
かなかった、残念な作品というのが、あくまで個人的な、
「プリンセスナイン」に対する評価になります。
唯一の救いは、吉本ヒカルさんの、誠四郎君との唐突
だけどさっぱりと明るいキスシーンでしょうか。
あれがなければ、終盤はずっと淀んだ雰囲気のまま進
んでいったと思います。
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