先にちょっと、です。
アメリカ・フロリダ発のポッドキャストAnime World
Orderが約6週間ぶりに、新エピソードの第72回を
配信開始しています。
まだ始まって30分ほどの、OTAKU USA編集長の
パトリック・マシアスさんがゲスト登場した辺りまでし
か聞けていませんけど。
2005年12月の始まった当初は、それこそ毎週更新
くらいの勢いがあったのに、最近はめっきり更新が
なくなってしまったのは、引越しなど、生活状況の変
化もあるようですけど、一番大きいのは、メンバーの
DarylさんとClarissaさんが、OTAKU USAにライ
ターとして参加し、そちらの方に時間をとられるように
なったことだと思います。
無料奉仕のポッドキャストより、ギャラも出ている筈
の記事執筆の方を優先するのは理解出来ますし、
記事の質もいいものです。
ただやっぱり僕は、Darylさん、Geraldさん、Clarissa
さん3人の、役割を心得た会話の雰囲気が好きなの
で、出来ればもう少し定期的に更新はして欲しいです。
最近は他のアニメ系ポッドキャストも、かつての元気
さはほとんどないですし……。
そのClarissaさんもゲスト参加している、Destroy
All Podcasts DXの最新エピソードである第68回
(9月13日配信開始)のお題は、「機動戦士ガンダム
逆襲のシャア」でした。
レギュラーのAndrewさん、Jeremyさん、そして
Clarissaさんの3人共がそろって、厳しい評価を下
していたんですが、その最大の理由は、「Zガンダム
の頃と全く違う、大量虐殺まで容認するようになった
シャアの変心が理解出来ない」というもののようです
ね。少なくとも劇中でわかるようには説明されていな
いと。アメリカでは「ZZ」は正規リリースされていませ
んが、シャアについてはあまり関係ないですし。
それとやっぱり、「誰からも嫌われている」と言われ
てしまうくらいにクェスの評判が悪いです。
逆に評価されているのは、出渕裕さんのモビルスー
ツ・デザインですか。
引き続いて本題。
アニメの中での、キャラの動きの表現・演出という
ことでさらに話を続けるのですが、今回例に出すの
は、「東京ゴッドファーザーズ」(03年 監督・今敏
公式サイト)になります。
(以下、評の性質上、物語のラストにまで言及して
いますので、未見の方はお気をつけください)
クリスマスの東京をリアルな背景で描いたこの作品、
キャラクターの動きも基本的にはその背景から脱し
過ぎない、リアルなもので演出されていたと思います。
演技という面では、それなりのアニメ的デフォルメも
ありましたが。
で、僕が見ていて「あれ?」となったのが、終盤のカ
ーチェイス終了時のシーンです。
タクシーの窓枠に腰掛けるようにしていた、ハナとミ
ユキが、走っているタクシーからそのまま地面に降り
るシーンがあるのですが、慣性の法則を無視したよう
に、2人ともわりと楽に着地するんですね。
走っている車から降りるのは、かなりの低速度でも怖
いというか、衝撃がある筈ですから、2人とも転ぶなり
よろけるなりするのかと思っていたら、全くそんなこと
はありませんでした。
タクシーの速度は、ハナの時はまだしもミユキの時は、
それなりの速さだった筈ですけど、その時だけアクシ
ョン・スターになったかのように、ミユキは華麗に着地
します。
この処理が、僕には作品がそれまで維持してきたリア
リティからの逸脱に思えたんですね。本来なら、転ぶ
なりよろけるなりするのが、この作品のリアリティの筈
だったのではないかと。
直前までのカーチェイスでは、主人公ホームレスの1
人ギンも、かなり身体を張ったアクションに挑戦してい
るのですが、一応は成人男性ですし、死に物狂いで
ジャッキー・チェン並に頑張っている、ということで納
得は出来ていました。
ここで、何故それが問題になるかというと、本作では、
リアリティからの逸脱による「奇跡」が、クライマックス
に用意されているからなんですね。
端的にいうと、ビルの屋上から落ちそうになったハナ
を、突然の突風(ビル風)が救うわけですが、風がその
タイミングで吹くことにはなんの理由も説明もないがゆ
えに、「奇跡」なわけです。
映画の中でこういう大きな奇跡を起こしていいのは、
通常では一度だけですけれど、奇跡が起きていい前
提として用意されなくてはならないのが、「奇跡なんて
起きない」というだけのリアリティがある世界観です。
奇跡と呼んでいいくらいの現象が簡単に起きてしまう
世界なら、奇跡それ自体のありがたみがありませんか
ら、「奇跡が起きない」世界観は、奇跡を演出するため
には絶対に必要です。
この作品ではずっと、偶然の連鎖によって物語が結び
続けられているのですが、それに対応するキャラクタ
ー達の物語は、ずっと一定のリアリティを守っていまし
た。
それが破れたのが、走るタクシーから降りても平気な、
物理法則を無視した「有り得ない」シーンであり、結果
として、クライマックスに用意された「有り得ない奇跡」
の価値を直前でスポイルしてしまっています。
描写の受けとめ方は、それぞれの個人で差もあるでし
ょうから、演出ミスとして批判したいのではなく、このこ
とが、何でも描ける筈のアニメ表現の、作業としての大
変さを示す例だと考えてみたいのですね。
これが実写であれば、重力であったり、慣性だったりと
いった物理法則の自然な表現は、特に演出しなくても、
俳優さんやスタント・ダブルさんの身体が、そのまま映し
出してくれます。
走っている車から降りようとすれば、その速度なりの勢
いが、降りる俳優さんの身体に伝わって、反応してくれ
ますから、それから逆算しての演出が出来る。
けれどアニメの場合は、そういった実写では努力しなく
ていい自然なことも、作品のリアリティに沿った形で、
きちんと想像し計算して、演出しなくてはなりません。
アニメは「何でも描ける」一方で、「全てを描かなくては
いけない」のですね。
アニメは画面内の情報を全てコントロール出来るのは
確かですが、その作業を整然と統一性をもって行い、
かつ魅力的な物語に仕上げるのは、実写とはまた違う
意味で大変な作業なのだとあらためて思います。