2008年09月14日

日本の実写映画における漫画・アニメ的表現の必要性について


映画評論家/特殊翻訳家であるという、柳下毅一郎氏
(公式ブログ)の評論集「シネマ・ハント」という本に目を
通していたんですね。
その中に、韓国映画「火山高」(01年 監督キム・テギュ
ン)を論じた項があり(P136〜137)、「この映画は、日
本で作られるべきだった。」と題されていました。


僕個人は同映画を未見ですけれど、柳下氏の主張は、
漫画的表現にあふれたこういう映画は、まず漫画大国
である日本で作られるべきなのに、何故か日本では実
写映画において、漫画・アニメ的表現は積極的に用い
られてはいない、というものだと思います。
「火山高」の日本での公開は2002年12月で、5年以上
の前のことですから、それ以降状況は大きく変わって
いるかもしれないし、いないかもしれません。


ともあれ、「もちろん、日本でも漫画はいくらも映画化
されている。不思議なことに漫画的な表現を積極的に
使おうとする映画はない」「世界に冠たるアニメ大国日
本において、なぜか誰もアニメ的な映像表現を映画に
活用しようとはしない」という柳下氏の主張を、2002年
時点での事実だと仮にすると、その理由として、どんな
ものが想像出来るのか、考えてみます。


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予算とか技術的なことは別にして、一番最初に思い浮
かぶのは、漫画的・アニメ的表現を見たければ、漫画や
アニメを見ればいいから、になるでしょうか。
漫画的・アニメ的表現が最大限に機能するのは、やは
り漫画やアニメ作品においてですし、それを世界で最新
・最高レベルで享受出来る立場に、日本の消費者はい
るわけですから、ことさら実写映画に、漫画的・アニメ的
表現を強く求める理由がないという、観客の側のニーズ
の欠如ですね。
漫画・アニメを原作とした日本の実写作品に対する一
般観客側のニーズは、「あの人がこの役を」というキャス
ティングなどの、原作にはない、映像表現とは別のもの
に対する方が、まず強い気がします。
一方でハリウッドでの実写化はありがたがるのは、その
映像技術力と予算の大きさに対する、期待と幻想がある
からでしょう。


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でもまあ正直、「日本映画」という大枠のくくりで、どうこ
うすべきという意見を発するつもりは、僕個人には全然
なかったりします。
そのシーンを演出するために、漫画的・アニメ的映像表
現は必要なのかどうかという、個々の作品レベルでの
作り手の判断、そして観客の反応以上のものを、手段の
解説として求めません。
だから「押井守のようにアニメ映画で世界中に影響を与
えた人物ですら、実写映画を作るとアニメ的映像表現を
避けてしまう」という柳下氏の言葉がありますが、押井監
督にしてみれば、アニメ的表現はアニメ作品でやればい
いのだし、実写作品にアニメ的表現がないのは、それを
用いる文脈的理由がない、というだけのことだと思います。
結果としての押井監督の実写作品が面白いかどうかは、
アニメ的表現の有無とは関係なく、全く別の話ですけども。


posted by mikikazu at 08:24 | TrackBack(0) | アニメ感想-いろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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